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 京都のとある小学校におけるプール死亡事故を扱った (ある種の) ルポルタージュ『遠い声を探して──学校事故をめぐる〈同行者〉たちの記録』のなかで、著者の石井美保は、事故の再現検証に亡くなった児童Hの「代役」として参加したMとその母親との会話を以下のように紹介している。

母: Hやったら、どうするやろ。

M: 追いかけたんちゃう?

母: なんで?

M: 先生にもう一回遊んでもらいたくて、追いかけたと思うで。Hは、ああいうときに一人でいるのが嫌やねん。誰かと一緒にいたいと思うねん。

石井は、MとHが同じ保育園の出身であり、生活をともにしたがゆえに通じあうものがあったのだろうと推測し、次のように述べる。

Hちゃんの行動に関するMちゃんの言葉は、再現検証という経験に基づいているという意味で、事故現場にいた者の「証言」とは異なっている。だが、プールにいたHちゃんの視点になりかわることは、その時現場にいた誰にも不可能である。その意味で、Hちゃんの行動と経験を自分の身をもってたどりなおしたMちゃんの言葉は、証言とは位相をことにする、ある種の啓示的な洞察となりえている。

石井の注意をMとその母の会話に向けたのは、Mの母親が亡くなった児童の両親に書き送ったメールのなかにあった「Mの声、聞いてほしくなりました」という言葉だった。石井が示唆するように、「プールの中でHちゃんになりかわり、その行動をなぞるという経験」をした「Mの声」のなかに「Hちゃんの声であったのかもしれな」い響きを聴き取ることができないとはいえない

 

 ここでやはり俺は、『荘子』外篇「知魚楽」の挿話を思い出す。

 中島隆博荘子の哲学』は、他なる存在者である「魚」の池を泳ぐ「楽しみ」が人に理解可能かどうかを論じたこの挿話を他者論として読解し、桑子敏雄の議論を紹介している。

 そもそも、常識的には俺たちには池を泳ぐ魚の快さは理解できない。俺たちは魚ではないからである。しかしそれでも荘子は「わたしはそれを濠水の橋の上でわかったのだ」と強弁する。

 なぜなら、孫引きになるが桑子によれば、

荘周[荘子]の立ちあっている環境のなかで、他者が泳ぐということが成立するとき、荘周の身体配置のうちで、他者の身体と環境と身体のうちで生じる心的状態の全体性として、「楽しみ」が成立する

からである。「楽しみ」は、具体的な身体配置のなかで関係的な出来事として出現するというわけだ。荘子は体験を場という関係に開くことで古典的な独我論と近代的な主観性を超えていく。

 中島はこの体験を、知覚の明証性を根拠として自我という体制が立ち上がる以前の前主観的で受動的なものであると補足する。

ここにあるのは根源的な受動性の体験である。「わたし」自身が、「他者の楽しみ」に受動的に触発されて成立したのである。

 別の言い方をすれば、『わたし』と魚が濠水において、ある近さ(近傍)の関係に入ったということである。それは〈今・ここ〉で現前する知覚の能動的な明証性ではなく、その手前で生じる一種の『秘密』である。

そして中島は、この『秘密』を他なるモノへの生成変化、つまり「物化」の思想に接続していく。このとき、「現在」しか扱えず、過去はどうにもできないという「物化」の思想の限界を中島は指摘していた。

 

 以前、俺はこの限界を「現在があたかも"過去であるかのように"別な仕方で鳴ることがないとはいえない」とパラドクス的に考えることでどうにか自分なりに解消した 。↓

https://solitudeandsilence.hatenablog.com/entry/2023/04/11/180558

 

 気がかりなのは、この考え方がシンプルにギャンブルだということだ。未来への賭け金がデカすぎる。どうみても別な考え方があるし、あるべきだ。

 だから俺は石井のいう「ある種の啓示的な洞察」が気になっている。もうそこにはいない「Hちゃん」になりかわってプールの水に浸かることで、「Mちゃん」はそのなかに「Hちゃん」の声を聴き取りうるような証言を周囲の人々に提示する。もちろん、そこにあるのは「楽しみ」ではない。石井はこの体験に「エンパシー」という語を当てる。

しかし、他者の不在のなかで生まれるこの「近さ」は、どういう身体配置であり、どういう「近さ」なのか?

そして、それはいかなる『秘密』なのか?

たぶんこれは、「なる」と「なりかわる」のあいだにある距離を測ることなんだろう。