いつの間にやら今年も俺の誕生日が近い。
(筆者註: 俺は1994年6月3日生まれです)
とはいえ俺の誕生日はじつのところどうでもいいので、時計の針を89年と352日戻す。
1904年6日16日といえば「ブルームの日」であって要するに『ユリシーズ』の日だが、その第1挿話のなかでスティーヴンは次のようなことをいう。
History, Stephen said, is a nightmare from which I am trying to awake.
次に112年ほど進んで、2016年、俺は三条京阪にいて「在日特権を許さない会」が交差点で何やら怒鳴り散らしているのを眺めている。
そのとき俺は帰化したばかりの新米日本人だったが、その場にいる多くの人たちが「在特会」に見向きせず素通りしているのを見て妙な感覚を覚えていた。
在特会ではなく在特会に気を停めない周囲の「日本人」とのあいだに断絶があった。
それから多少の月日が過ぎ、2023年、「政治的なことは個人的なことである」という逆転したテーゼのもとでものを考えるようになったころ、俺は清渓川に向かってかつて「京城」と呼ばれた街を北上しつつ、けたたましい尹錫悦退陣デモを遠巻きに眺めている。
遠巻きに、というのは、とりあえず、日本のパスポートを持つ俺が彼らの目に好意的に映るわけがないからだ。
しかしそうはいっても……と俺は思わざるを得ない。
俺を普通の「チョッパリ」ないし「イルボン」と同じにしてもらっては困る……というような感情がある。
俺にも事情がある。
物事には歴史がある。
結局のところ、悪夢かどうかはさておき、「歴史」という夢から覚めることはない。
と思ってこの記事を書いてたら寝室のLGのTVがいきなり壊れた。
DCアダプターから煙が出てきた。
やばない?
やっぱ日本製にせなあかんね! (かつて友人の守口製ノートPCが爆発した事実に目を背けながら)